番外編(その1) 社会人1年生 三井金属時代
- mnakata85
- 9月16日
- 読了時間: 12分
1.楽しかった昭和の新入社員教育、酒の力は強し
社会人人生最初の配属はダイカスト事業部ドアロック制作部設計課、ここから私の社会人としての人生がスタートした。設計課に配属されたが、1年間は製造・生産技術の現場実習があり、金型製作、機械加工、熱処理、表面処理、組み立て、試作、製造部、そして生産技術での型・治工具設計と充実した研修であった。
実習の最後は実製品の量産プレス金型設計、その型図で実際の量産金型がつくられ、トライ立ち合いまでの真剣勝負。この成果が、その後、プレス業者の評価と信頼を勝ち取り、金型設計のアルバイトを頼まれ、夜・土日で対応し、よい小遣い稼ぎ・飲み代になった。
なんとも余力ある昭和の新入社員教育そのもので、三井ダイカストの製造現場は、3交代職場で、製品の取り出しはロボットではなく、手作業でその腕っぷしが生産性を左右する。したがって九州から採用された猛者は貴重な存在だった。
仕事上がりの現場の人との飲み会が1年間あったのは私の人生の基礎を作ったと言っても過言ではない。
余談だが、社宅寮があった大井町で地元のやくざが一目置く存在で、その現場組長から、お前は秋田だな、家にのみに来い、焼酎を飲ませてやると強引に誘われ、つぶれるまで飲むという勝負が思い出される。
正直、怖かったが、勿論、小学生から鍛えられ、中学で一升瓶を開けるまでなっていたので、負けるわけがない。それ以来一目おかれ、1年生坊主ながら現場の人から特別な目で見られるようになった。父の弟子には今でも感謝しなければならない。
これがまさに昭和の現場教育だ。残念ながら今の企業の新入社員教育はそんなに手厚いゆとり教育はない。即戦力を求める今の企業風土は、希薄な人間関係となり、大事な人と人・製造現場文化の伝承をおろそかにしてはいないかと心配になる。
先日、超製造研究会でDX推進に必要なものは?との問いに“飲み会”と言ったら失笑をかった。現場からの設計・型設計部門に対する愚痴や、それでも何とかする現場の気質は人生一番の伝承教育であった。
三井金属退職後のインクス時代、新入社員採用は数千人の応募から100名ほどに絞られ、私と社長の最終面談となるが“どんな教育をしてくれますか?”と聞かれ、難ともさみしく、即不採用を告げた。
デジタル社会、デジタル製造におけるDX教育を各社取り組んでいるが、果たして正しい教育といえるのだろうか。日本の伝統的なものづくり魂が入っていないのではと危惧する。そこが日本の勝ち筋なのだが。
2.“できないとは言わない技術屋魂”挑戦の人生のスタート
ある時、三井金属として初めてドアロック以外にCIVICシートリクライニングの引き合いがあった。先輩諸氏は、“儲からないだとか、やりたくないだとか“先輩諸氏のみんなが反対し、尻込みしていた。
朝、出社すると、自分のドラフターのライトに“佐藤君、これを担当してください”と課長のメッセージが貼ってあった。みんなクスクス笑っていた。シートリクライニングも重要保安部品で素人が開発できるものではなくリスクがあった。
私は若く“来るものは拒まず、できないとは言わない”が信条で、だまって調査から始めた。競合の会社は“できません電機”と揶揄され、評判が悪く、将来の恩師となる永田MGが三井金属に白羽の矢を向けた。
まず、機構、ギヤ、ホブ盤などの新製造工法、ある意味、誰も関わり合いたくない設計開発、生産技術もないので材料選定、ホブ盤、製造ライン設計、熱処理等まで全工程に首を突っ込み、金型設計まで行う羽目に。夜遅くまで、土日なく没頭した。

見事受注ができ、量産にまでつなげた自信と技術屋としての魂がベンチャー精神になったと考える。経験もなく、知識もなく、誰も助けてくれない、勿論、学歴も関係ない、頼れるのは現場の仲間、その経験が今の自分の基礎となっていることは間違いない。
その成果は、社長表彰となり、報奨金の30万円をいただいたが、当然、飲み代として協力したみんなに召し上げられた。徹夜して試作してくれた試作現場のみんなと安い立ち飲み酒と缶詰のつまみの赤ちょうちんで盛り上がった。2次会はお決まりの五反田ネオン街に繰り出し大いに盛りあがった。
思い起こせば、他にHONDA様からドアシステムの表彰をいただき、お客様との共同プロジェクトではアイシンAW様のミッション開発の社長表彰、アルプスアルパイン様からの“同じ失敗を繰り返さないナレッジ電承システム”で社長表彰、日産様のNOTE開発期間短縮でゴーン社長からの表彰をいただいた。絡んだプロジェクトは殆ど社長表彰。“よい仕事”といえる。
3.リコール寸前“針のむしろ事件”と仕事の覚悟
そんなに世の中は甘くない。次々とドアロックと新規リクライニングの開発をこなしたが、ある時、島根県でシートが倒れたとの連絡が品証に入った。それから間もなくもう一件、他県から報告があり、HONDAさんの永田役員がちょうど来ていて、みなその対応でざわついた。
いくら設計検証しても悪いところがない。佐藤君、何が原因か?製造不良か?何が悪いのか?事業部長も設計上司も、品管管理部長も、製造部長・工場長も、営業もみんな心配されるが、勿論、遠目に見てるだけ。先輩諸氏は“だから言ったこっちゃない”所詮、三井にも佐藤にも無理な案件だよ。と陰口をたたかれた。
一人まさに針のむしろ状態。唯一、山田先輩(後のインクス社長)だけが、一緒に検図・力学計算、リコール確率算出、賠償金額計算など親身に手伝ってくれた。心強かった。
カムの抑えばね力をアップさせる対策と製作、ばね交換治具まで設計し、対策品を新幹線で手持ち運搬、自動車メーカの組み立てラインの横での交換作業、モータープールまで編隊を組んで、組み換え作業に入った。旧知のばね屋さんにも徹夜で製造してもらい、部品交換要員は昔、現場教育でお世話になった仲間が率先して対応してくれた。
幸運にもUS(米国)では起こらず、事態は収束に向かった。もし、シートバックが倒れて子供がシートの下敷きで亡くなったり、怪我でもしたらと“辞表”を胸に入れて寝ずの1か月だった。“覚悟”問う言葉を心に刻んだ事件だった。
畑村洋太郎先生とはインクス時代にお世話になり、「失敗学のすすめ」は直にお話をきけた。そう言えば、ドアロック、シートリクライニングなど失敗の連続だった。
一度は、恩師のHONDA永田さんから10WAYシートという画期的な折り畳みシートの開発を指名され、試作品を作り、立ち合いで“動かない説明”をしたとき、夜の報告会で“三井じゃない、佐藤お前に頼んでるんだ“とこっぴどく殴られた。
永田さんはHONDAでもなく三井でもない垣根ない技術屋魂をこぶしで教えてくれた先生だ。永田さんは溶接工上がりで常務取締役まで上り詰めた仕事のプロだ。私を殴った(愛のムチ)人は後にも先のあなただけ。
そういえばよく永田さんのアパートによく泊まり込みで、成増、池袋、五反田とネオン街を渡り歩き、心底付き合った。痛い目にもあったが感謝しかない。人生には相手の懐に飛び込んで師をつかみ取ることも必要だろう。
4.エンジニアとしての信条、特許は開発者魂の公的証明
ドアロック設計はHONDAに始まり、トヨタ、日産、関東自動車、と次々こなしていた。信条は“先輩の設計と同じ設計・ものは真似をしない”で、常に改良を加え、1部品でも少なく軽量化し、新たな機構を考案することに注力した。
当然、最大のライバルであったアイシン精機、大井製作所には技術では負けられない。ドラフターの下に競合他社の特許を貼り付け、足蹴にして開発した。特許庁にも通い、自分で明細書まで書けるようになっていた。
三井金属退職時までに出願した特許は実に三井金属全体の15%、200件以上を出願していた。その後、インクスでも今のKMCでもすでに60件ほど出願している。技術屋としての公的な評価は特許と論文であろう。特許化されるという事は“誰もまねできない技術”として世界中で評価される。いわば技術屋がけんかに勝てる唯一つの武器となる。
ちなみに、QRコードを起点とした金型管理システムはKMCの特許である。特許はシステムを購入してもらったお客様を第3者から守ることができる。特許に抵触するシステムで生産したら賠償金を支払えとお客様が訴える危険性がある。だからKMCは開発した全てのDXソリューションの特許を申請することにしている。

余談だが、三井金属では特許出願報奨金は当時3,000円ほどもらえたが、加えて1件300円ほどの小遣い稼ぎに改善提案も出しまくり、改善提案件数は常にTOP3を堅持した。残念ながらすべて飲み代として先輩に召し上げられた。

博士論文は50歳の手習いで挑戦した。欧米に行くと打ち合わせ相手は博士が多く、時に気後れする場面もある。夕食会などでは露骨に言われるときもある。それが欧米社会だ。
その時、あなたの専門は?と聞かれ、ナレッジとプロセスの融合、すなわち“ナレッジエンジニアリングと答えるようにしている。ついでに、KMCを起業してすぐにアルプスの役員からいわきの赤ちょうちんでお祝いを受けた。
その店で”酒匠”の認可証があり、お酒談議になった。“佐藤さん、酒匠は日本に何人もいないが、利き酒師なら10万円払えば簡単にとれるよ”と悪魔のささやき。
すぐに申し込んだが、分厚い書籍、日曜日の講習会、そして試験。話が全く違う。日本酒の歴史や酒税法、テイスティングやおもてなし、おつまみと酒類の相性、そして論文と4科目すべて70点以上が求められる。
一発目の試験、会場には国内外100人以上参加、どう見てもサラリーマン風の人は私と2人だけ、利き酒師はカウンターの中に入る人の資格だと後で知った。見事、1科目が不合格、追試に25,000円支払い、後日、徹夜で勉強した甲斐があって合格。同時に日本酒品質鑑定士の認定もついてきた。利き酒師の名刺も作り「秋声」と名乗って、秋田県能代市の産業アドバイザーも拝し、おいしい地酒を紹介している。
以来、銀座のすし屋に行っては、大将にちょっと包丁見せてとか、まな板の材質は何?今日の肴は何?女将には肴にあうお酒はあるの?精米歩合は?酒米は?酵母は?面倒だから一升瓶をみんな見せて、ところで器は?と何かとうるさい客になってしまった。長年の付き合いで今日はこれだね!と何も言わずとも出てくるようになった。お取引様からのお中元やお歳暮が日本酒になり、冷蔵庫には入らない。お酒を飲まない家内から私のメリットはないの?という事で最近は家内向けのお菓子やプリンなどに変わった。有名な噺家の離婚理由が、スイカが大量に送られてきて奥様がさばききれず離婚に至ったという例もある。
そっか、製造DXは現場へのおもてなしの心が大事だ。と思う昨今である。
ドアロックはドアが運転中に開いたら人が死ぬ重要保安部品である。ロックを設計するという事はドア開閉システム、ドアハンドル、リンケージ、アクチュエータ、電動回路、無線ロック・アンロックのキーレスエントリーシステム、そしてドア自体を設計ができないと一端の設計者とは言えない。
勿論、シートリクライニングは補器類であり設計者はシート自体の設計や人間工学を知らないと設計者とは言えない。設計者とはそういう者をいう。
シート設計は当時の東京シートと共同開発があり1年間通った。ランバーサポートやリフター、無段階角度設計機構、電動シート機構、更にはスピーカ内蔵の音響まで学んだ。第3腰椎のサポートが良いと聞くと五反田の接骨院まで勝手にいって話をきいた。なぜ五反田?それを聞くのは野暮だ。
製造DXには、金型・設備・センサー・通信・制御・コンピュータ、ものづくり知識が必要だ。それにしても現場を知らない中途半端なDXエンジニア・コンサルタント・システムエンジニアが多すぎる。“バリって何?ヒケって何?それを俺に聞くか!それくらい勉強しろ!と現場の作業者の小さな声。解決したい不良は現場で起きている。
今のエンジニアはNET(ネット)で何でも知識が手に入る。おまけにAI、昭和の開発と何が違うのだろう。
5. 井の中の蛙、世界のエンジニアとの出会い、自分の実力
ドアロックの設計者としてもHONDA、トヨタ、日産向けの開発を順次こなしていた。
ある時、クライスラーから日系2世のMr.Maruyamaさん他数名が三井金属に来社され、ドアロックのオファーがきた。皆英語なので逃げるところ、流暢な英語で山田さんが対応し受注に向けたプロジェクトがスタートすることなった。
当時日系メーカからUS現地生産が迫られていたこともあり、営業1名、山田、佐藤、若手1名の4人の“Dプロジェクト”が発足した。ミッションはChryslerの全てのDOOR LATCHの受注だ。
当時、JAPAN As No.1の時代で、デトロイトでは連日、反日本車で大騒ぎの時だ。1年間、毎月ニュ―ヨーク経由、三井のニューヨーク支店長と美人の秘書を伴い、デトロイトに入り打ち合わせを重ねた。
USのビジネスは公平を期す文化であり、世界の11社のDOOR LATCHメーカに仕様書を出し競争させる仕組みだ。三井含め3社に絞られたところでデトロイト転勤の辞令が出て、家族4人で引っ越しとなった。
当時デトロイトは全米No.1の殺人率、朝のラジオでは今日の強盗、レイプ、殺人のNewsが流れる時代で、主だった社員が空港まで見送りに来る時代だ。そうしたら、お前はまだいいよ。俺なんか機関銃片手の兵士とジープで山へ出勤だ。と南米の鉱山勤務の仲間は笑っていた。
今では普通のことだが。そうして英語が話せない初の海外駐在の人生が始まった。USデトロイトオフィス転勤後、クライスラーのマネージャーからドアロックの設計・性能含めて三井はTOP。特に山田と佐藤は特許を見ても世界のTOPの二人だと評価をいただいたのがうれしかった。

山田さんがD-プロジェクトの一員に私を指名してくれたことで私の人生も家族の人生も大きく変わった。世界には多くのドアロックエンジニアがいる。11社、1000人いるとすれば私は何番目?世界ランク何位?と自分自身を評価するようになった。
世界は広いし、変化が激しい。自分を売りこみ、転職する社会は日本になじまないのか。最近調査では若者が年功序列でも長く勤めたいという人が増えているそうだ。
ちなみに、私の家内は父が三井金属の人事の役員で、熊本から、広島、岐阜、東京と引っ越しを経験、私は東京、栃木、US、熊本、千葉、神奈川と引っ越し、子供は5回転校している。本当に家内・子供たち家族には申し訳なし。
次回はUS赴任時代の経験を書きたい。
次回は
番外編その2 三井金属退職とインクス設立
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